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近年外国人実習生を受け入れる企業の特徴として、海外への進出を視野に入れたケースの増加が挙げられます。

 

年々厳しくなるコスト競争に対抗するための海外への生産移管だけでなく、海外市場への販路開拓など、一口に海外進出といっても狙いは様々。

 

そんな中、実習生をきっかけにベトナムに工場を作り、成長を続ける会社があります。

社長自ら英語やベトナム語を学び、現地では自らバイクを駆って工場へ通勤する一方、欧米の大手企業の仕事を請け負うD社(大阪市大正区)です。

 

ホテルや店舗のサイン&ディスプレイの開発・製作を行っている同社は従業員111人。同業他社が縮小する国内市場で苦しむ中、本社・ベトナム工場ともに、優れたマネジメントで業績を伸ばし続けています。

 

海外生産と海外販売両方を成し遂げる姿には未来の日本製造業へのヒントが含まれているのではないでしょうか。

 

ベトナム実習生受け入れのきっかけ

――工場を拝見しましたが、欧米の超有名アパレルブランドの看板も作ってらっしゃるんですね。驚きました・・。そもそも御社がベトナム人を受け入れるきっかけは何だったのですか?

 

J社長 バブル崩壊後、それまで主だったゼネコン関連の仕事が減り、創造性ではなくコストばかりが優先されるようになりました。この時期、海外の展示会や研修旅行で国外のマーケットに触れ、「これからは海外や」という実感を強めていたんです。

 

 


ベトナムには2003年に地元工業会の研修旅行で初めて行ったんですが、やさしい人が多く、とても印象がよかったんですよ。すぐ後に、たまたま淀川さんから外国人研修生制度(※現 実習生制度)を紹介してもらったのがきっかけで2004年からベトナム人2名の受け入れを始めました。

 

――当時からベトナム進出を検討されていたのですか?

 

J社長 いいえ、進出までは考えてなかったですね。雇うことで社内の国際感覚を養うというか、従業員の視野を広げることが目的でした。

 

――しかし、御社の商品は受注生産。いわゆるロットの極端に少ない単品モノばかりですよね。日本語を学んできているとはいえ、3年しか在籍できない外国人には難しい仕事ではないですか。

 

J社長 (3年間と決まっているため)最悪上手くいかなかった場合のリスクも事前に計算できたので決めました。ただ、現場はものすごく反対しましたね(笑)。実際最初は大変だったと思います。

 

それでも、最初受け入れた2名は半年ぐらいで一通りの仕事はできるようになり、1年で日本人よりも上手に仕事をこなす子も出ました。

 

2年も経つと完全な戦力で、日本人の派遣社員に仕事を教えるぐらいになったので、逆に現場のほうから「次も入れてくれ」と言われるようになりましたね。

 

――社長は英語・ベトナム語に堪能と伺っていますが、これも国際化の一環ですか?

 

J社長 堪能ではないですよ(笑)。全然です。受け入れ始めてから週1回ベトナム人の先生を会社に呼んで、福利厚生の一環でベトナム語講座を開いていましたね。

 

(ベトナム語は難しく)従業員があまり上達しなかったので2年ほどでやめてしまいましたが、国際化のために今でも社内で英会話講座は続けています。

 

 

まずは設計事務所からベトナム進出へ

――当初は考えていなかったベトナム進出を決めた経緯を教えてください。

 

J社長  (実習生は3年で帰国しなければならないため)せっかく3年間頑張った子と縁が切れてしまうのが、もったいないと感じたのがきっかけでした。

 

あと、やはり海外とのコスト競争に直面したことですね。当時、木工や家具などの違う業種で他社が海外製に押されている姿を目のあたりにしました。

 

 


グローバルに販売していこうと考えた場合、国内製造ではモノは良くても高すぎて売れないのが現実です。

当時オーストラリアや韓国で展示会に出展していたのですが、「(他国と比べて)4倍ぐらい高い」と言われたこともあります。ドイツ製でも、うちの6割ぐらい安い値段で売られていました。

 

とはいえ、いきなり製造工場を作るのはリスクが高いので、2008年に満了帰国者3人と日本人1人で駐在員事務所をベトナム南部ホーチミン市に作りました。ここで本社から送った図面をもとにCAD(コンピューターを使った設計支援システム)で入力する作業を二年間やりました。これなら設備はパソコンだけで済みます。

 

ただ、問題はこの元実習生3名は製造作業経験者でパソコンを触ったこともなかったこと。

 

帰国後にノートパソコンをベトナムで手渡し、CADをイチから学びに行かせた子もいましたよ。「お前ならできる!」と言って(笑)。この元実習生が今は現地工場の社長を務めてます。

 

――・・・それはすごい(笑)。

 

J社長 当初はなかなか大変でした。現地の日本人スタッフからは「駄目だ!!」という報告が再三上がっていましたが、今はスカイプなどインターネットを介したコミュニケーション方法もあるので、徐々に向上し2年後には工場をやれるメドが立って来ました。

 

――そして2010年に満を持して工場立ち上げですか。

 

J社長 日本人社員3名と、日本語を話せる元実習生5名、新たに現地で採用した5名の13名でベトナム南部ビエンホアに約2,500平方メートルの工場を立ち上げました。以来黒字を計上し続け、現在は50名まで増員しています。